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わが街小樽管理人さんへのお返事です。 > 江戸時代徳川幕府の経済体制は米本位でした。当時蝦夷地と呼ばれた北海道の統治を任され > ていた松前藩は米の獲れない蝦夷地の特殊事情から、幕府の許可のもと家臣への俸禄は米 > ではなく、アイヌとの交易を認め、その収入を俸禄として家臣に与えていました。家臣達は > 交易取引を決められた区域毎に商人に任せ利益の一部を運上金として収めさせていました。 > この交易の決められた区域を「場所」といいその商人を場所請負人と呼んでいた。この場所 > 請負人が場所毎に作ったのが運上屋(家)です。その後オタルナイ場所は隆盛を極めその > 財政に目を付けた幕府は(これには諸説色々あります)オタルナイ場所を高島場所と、現在 > の妙見川{旧オコバチ川)を堺にしたオタルナイ場所の2場所とし、村並制度を布き統治 > した。時は1865年明治維新の3年前の事である。当時の人口314戸1143人でした。 > > ◎ この場合の村並とは村制度からきており、幕府の蝦夷地での政治や経済体制、いわゆる > ”村並”は1801年に道南6カ所の場所が和人の出稼ぎが定着し始めた事から、内地並の村制 > を敷いたのが村並制度の始まりです。制度としての本質は村制度です。 > > ◎この機会に江戸幕府の士農工商体制下における、税制について述べます。 > 江戸幕府の全国統治は、幕府領、旗本領、藩領、神社領等があり税制も士農工商の身分制度 > により、それぞれ異なっておりました。そこで身分制度と税の仕組みを下記に記します。 > > ① 身分制度と仕組み > > 朝廷・(御料3万石) 幕府・(天領400万石) > > 公家・(全体で7万石) 大名・(全体で2.250万石) > ↓ > 「士」 > 臣従・俸禄・家臣・藩士 > > 他に神宮・僧侶・等 直参・旗本(全体で300万石) > > > 以上大まかな系図ですが、武士には税金は掛からなかった。(全体人口割の10%) > > 村方3役 > 名主 (1村1^2名)代官の命を受け、人別改・年貢等の村政一般を受け持つ > 組頭・ 名主補佐 > 百姓代・名主・組頭の監視役・ > 「農」 > 本百姓・田畑を所有・検地帳登録・年貢負担・寄合参加資格あり > 小作人・寄合参加 > 名子 隷農 寄合参加できず > > 以上農民の全体に対する人口割は80%で主たる課税の大半を占めており、 > それだけに統制は厳しかった。 > > 「工商」町役人 > ↓ > 町年寄り・町奉行の下町政全般を受け持つ > 町名主・ 町年寄りの支配下、町内の公務を行う > 地主・家持・町政参加 運上金 冥加金等の負担 > 地借・店借(店子) 税負担なし・ 町政参加せず > 工 親方・従弟 > > 商 店主・番頭・丁稚 > > 商人は蔵元・為替小・造酒業・廻船業等の場合は免許料が科せられた・その他 > 裕福な商人には、町火消しや、木戸番の雇用維持費、橋の建て替え費用、祭りの > 費用などの負担を強いられた。 > > > ※以上が士農工商における税金の概略ですが、この問題は詳しく述べるには一万字以上 > もの資料となりますので簡潔化しました。詳しい内容を知りたい場合は”江戸幕府の > 税制”を検索して見て下さい。種々掲載されているはずです。なお村並制度”につい > ての検索は当HPのみしか表示されませんが、”小樽商工会議所”のhpにも詳しく > 記述されております。
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