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小樽発祥のあらまし①

 投稿者:KO こうじろう  投稿日:2006年 2月23日(木)15時17分9秒 FLH1Aas131.hkd.mesh.ad.jp
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   江戸時代徳川幕府の経済体制は米本位だった。当時蝦夷地と呼ばれた北海道の統治を
任されていた松前藩は米の獲れない蝦夷地の特殊事情から、幕府の許可のもと家臣の俸禄
は米ではなく、アイヌ人との交易を認め、その収入を俸禄として家臣に与えていた。家臣
は交易取引を決められた区域毎に商人に任せ、利益の一部を運上金として収めさせてい
た。この交易の決められた区域を「場所」といい、その商人を「場所請負人」と呼んい
た。この場所請負人が場所毎に作ったのが「運上屋(家)」である。
その後オタルナイ場所は繁栄し、その財政に目を付けた幕府はオタルナイ場所を、高島場
所と現在の妙見川「旧オコバチ川」を堺にしたオタルナイ場所の二場所とし、村並制度を
布き統治した。時は1865年明治維新の3年前の事である。なお当時の人口は314戸1143人で
あった。

  次回は愈々小樽開基  オタルナイの名称は現札幌 新川沿いにあった。?!!

http://www.otarukankou.jp

 
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