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小樽鉄道の歴史

 投稿者:わが街小樽掲示板管理者  投稿日:2008年11月17日(月)13時46分39秒 FLH1Acf022.hkd.mesh.ad.jp
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  ①道内初の鉄道建設は何故小樽だったのか。

明治維新により日本の近代化政策は、順調に進められてはいたが、欧米列強に並らぶ国家建設を目指す政府は、遅れている産業革命を推し進める為に、欠かせられない石炭資源の確保の必要に迫られていた。明治12年に幌内地区に良質の炭田があるとの報告を受けた開拓使では輸送ルートを検討、札幌~石狩湾への輸送後小樽港港への海上輸送案もあったが、最終的に札幌~小樽手宮間の鉄道施設案が採択された。当時の政府の対応は驚くほど早く、建設に着手してから.6ヵ月後に完成という突貫工事だった。幌内炭田の調査報告から、1年後の明治13年の事である。これは新橋~横浜、神戸大阪に次ぐ、全国3番目の鉄道敷設である。この事は当時の政府が北海道や小樽に掛ける期待が如何に大きかったかを物語っている。

②建設時の状況

開通当時は小樽市内には4か所のトンネルがあった。1個所目は水天宮下2箇所目は南小樽駅東側、3個所目は平磯岬すぐ続いて4か所目のトンネル(現存)であるが、地盤が弱く安全走行に支障を来した水天宮、南樽箇所は切り割とし陸橋を設けた。平磯岬トンネルの1か所は山を切り崩して埋め立て地を造成、後に小樽機関区、木材の乾燥場として小樽発展に寄与したがそれも取り壊され現在はウイングベイとなっている。

張碓駅は1905年(明治38年)に北海道炭鉱鉄道銭函~朝里間の駅として開設翌年に国有鉄道に編入された。昭和44年貨物扱いは廃止されたが、海水浴客向けの臨時列車駅として運行、しかし駅には跨線橋がなく人身事故が多発し遊泳禁止に伴い廃駅となった。

張碓はアイヌ人から、カムイコタン(神のいます処)呼ばれていただけあってどこか神秘的で、隠れた秘境として訪れるマニアもいたが、かってはあつた直接駅に通じる人道も現在は自然に還り、仮に一般の人にはあまり知られていない新しい住宅街からの連絡を辿ったとしても線路脇に道路がなく、駅までの道のりは遠く危険ではあつた。秘境化した同所を求めて訪れるマニアの多くは直接駅にたどり付こうとして崖を下り死亡者も出た為廃駅となっていた同駅は平成18年7月に完全徹去された。
 
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