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あえぎ行く 坂ありてこそ・・・古色の街よ

 投稿者:KO こうじろう  投稿日:2006年 4月12日(水)12時48分8秒 FLH1Abr001.hkd.mesh.ad.jp
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         あえぎ行く 坂ありてこそ 懐かしき
              古色の街よ 振り向けば海

この句は私が故郷小樽を語る時”古色の街”この部分に重要な意味を見い出し、
意識的に使って小樽の魅力を表現して来ました。然し今の小樽は坂の中腹に
多数の高層マンションが建ち始めており、中には運河沿い後方にさえも3~4
軒建ち、歴史的建造物保存の街並としての景観を侵食しております。これに対
し小樽市は建造物の高さ制限の条例化等で、何とか街並を守ろうとしています
が、これだけでは問題の解決にはならないのは明白です。小樽市の場合観光地
としての条件は ①歴史的建造物の街並保存、②海と起伏に富んだ山坂③何処
からでも街を見下ろせる眺望。この三点が「魅力ある観光地小樽」の必須条件
と考えられます。

一方小樽に住んでいる住民は全員が観光だけで、生活をしている訳ではなく、
ある程度の街並みの変容は時代の流れとして,止むを得ないのかも知れません。
しかし本州を旅して気付かれた方もおられると思いますが、倉庫や西洋的な
建物は小樽同様、保存対象になっています。只それ等の物件は小樽の様に街並
保存ではなく点在しています。その理由としては本州の街は歴史も古く、小樽
の様に明治維新後に一気に花開いた街ではないのです。すから明治、大正の文化
を形成する小樽は、日本全体から見ても貴重な存在であり学術的な価値すらある
と云えます。観光客が小樽にロマンを見い出すのは、小樽が明治、大正に花開い
た街だからではないでしょうか。

ある意味では、観光を守るから観光客が訪れるのではなく、文化資産を守った
結果観光客が小樽の姿勢を、支持して呉れたのだという事なのかも知れません。
過去にこんな事がありました。運河埋め立て論争の後、それ迄観光地としては、
名の売れていなかった小樽に突如人々が訪れる様になり驚いたものです。しかし
今から考えると小樽観光化の原因は運河論争が全国に報道された結果だったと
思われます。しかしこれも運河全面埋め立てだった場合は、今の小樽は無かった
のかも知れません。

観光小樽として、食の小樽、硝子工芸の小樽など色々と、小樽の代名詞があり
ます。しかし観光客に聞いたアンケートでは(96年ですが 傾向は現在と大差
ないと思われます)一位 小樽の建物に興味がある46パーセント、二~三位
飲食、工芸各20パーセント台)との事です。矢張り観光客にとってイメージ
する小樽があってそれに続く、サービスとしての食と工芸がある訳で文化的建造
物の転用は歓迎出来ても、建物を取り壊して迄サービスを提供する姿勢は小樽
全体の衰退に繋がりはしないかと杞憂致します。
 
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